本日の練習において(11/2) BY かんとく

本日も大学にて練習。

先般書いたとおり、学祭開催中のため体育会としても

「覇業交歓」と言う行事あり。

KG内の体育会で昨年同時期から今期にかけて、

全国制覇、関西制覇をした団体を体育会内で祝福しようと言うもの。

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私自身、この行事は結構長い時間、11月の寒空の下拘束されるので嫌だった。

多分現、役学生も同じ思いをしていたものも多いと思う。

だが現在では、やっぱりシステムとしてよくできたものだと感じる。

確かに選手それぞれから見れば、「自分には関係ない」物に見えるかもしれない。

だけどよく考えてみてほしい。

逆に考えれば、制覇したらその場は自分たちのものにできるのだ。

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そもそもなぜ部員がそろって練習しているのか。

みんなで練習するのは、そのほうが練習効率がいいからだ。

まず、もちろんのことパートナーとして相手を使うことができる。

まあこれは誰もが思いつくものだろう。

それよりも大事なことがある。それは他者があるからこそ人間は、

今までの自分では思いもつかなかった方法が、あることを知ることができる。

そしてその方法を身につけようとする意思と行動があれば、

身につけることができるし、或いは改善していくこともできる。

まあ、自分が気づこうと思わなければ、いつまでたっても気づかないんだけど。

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上記の覇業交歓と練習の話は、同じことを伝えたい。

考え方や、とり方ひとつでぜんぜん違いものになる。

覇業交勧を将来の自分が祝われる舞台と考えればワクワクすることができる。

練習だって「このパンチ」を当てて、その後こう当てて倒そうと考えてやっていれば、

「このパンチ」の練習は苦ではないはずだ。

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今日の練習で右手を上げたら左ステップ、左手上げたら右ステップという練習をしたが

これだって動かされるだけじゃ面白みもない。

将来の打ち込んでくる相手を、しっかり想像してやればそれが身になる。

さてここで問題です。この言葉は誰がいったでしょう?

「面白く、なき世の中を、面白く、為すは人の、心なりけり」

BY かんとく

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